「大丈夫」という感覚。
先日、自分の中の ”少女” のような部分とアートを使って対話してみました。
最終的に出逢ったもの
それは表面の奥のそのまた奥の深いところに眠っておりました。
存在していたけどみえてなかった、感じられていなかった。
それは私が欲している感覚に出逢うことにもなったと思います。
私の中の感覚だと、"少女"ってあんまり好きじゃなかった。
子供っぽくて、何もできない、なのに楽な道を選んでいる感じ
自分の中にあったものをただただ出してみた。
(※以下あまりよろしくない表現です笑)
何もできないじゃん。責める感じ。
それで生きていけるの!?
そんなような言葉と一緒に出てきた↓
おー…責めてるな 攻めてるな
内戦状態だね。こりゃ。
愛せなくて辛い感じかなー。
自分の言葉がパンチ🤛で跳ね返って
吐血してるもんね笑
(写真だと分かりづらいけど、吹き出し💬にパンチされてます。吹き出しの中はまあいろいろ凄い事書いてる笑)
だけど、そうしたいわけじゃないし
それが本来の姿じゃないんだろうなーっていうのは
なんとなく感じていたから
そこで聞いてみました。
描いたものをみていて"辛い" "痛い"と感じながらも
「どんな姿をしているのか、みてみたいんだ。教えて。
どうやったらみれるの?」
返答が。
「周りに花を置いてみて。」
置いてみました。
そしたら、なんか涙を描きたくなって…
そっか、この涙から花が育ってるのね
なんて感覚に出逢えながらも
もう少し何かありそうだったから
もうひと押し。
「責める言葉や否定する言葉でないとしたら
あなたの本当の想いはどこにありますか?」
違うところにある気がしたので。
そうしたらね、
「下をたどってごらん。」
だって。
だから枝から下に辿ってみることにしました。
幹を降りて まだまだおります。
ずっとずっと
根っこまできたらもっと地中までいって
みたくなったんです。
ノートからはみ出て紙を継ぎ足したくなって
下に下に…
そしたらね
地中の深いところでしっかりと手を取り合って
いましたよ。
こんなにしっかりと。
私にはこれは人の本来の絆のように感じた
だから、表面的に何を感じようが
みえないところでしっかりと繋がっているから
”何があってもどうなろうと大丈夫なのだ”
という感覚。
〇〇がないと不安、〇〇だから安心、という外側の条件付きの安心というよりは
(勿論それを全否定するわけではないです。)
私が思い出したい感じの
何かあってもなくても◎
内側からの安心感。
じわじわ じわじわと感じたかな
正解不正解とかというよりは
このアートを通してわたしの中に生まれた
゛体感゛ ゛体験゛
それが大切だったりするのではないかと思うのです
今はそんな感覚を少しずつ思い出している感じかな。
今回のアートでそんな感覚の一部に触れて出逢えたことが
嬉しかったかな。
アートをやっているとね
日常そのままだと気付きづらかったりするものに出逢えちゃうから不思議です。
しかも特別な道具使わないでできちゃうのが素晴らしい。
「下を辿ってごらん」っていうメッセージに沿っていったら凄いものに出逢えちゃったな。
このメッセージどこから来るんだろうね
地中の世界なんてみえないし知りようがないでしょ⁈笑
最初に描いた絵の゛吐血゛は
傷付いていた感じというよりは、地下からのエネルギーが漏れ出ていたんだねー。
だから゛赤゛だったのねー
やっぱアートって面白い。
以上、最近のアート模様でした*